そばにいて

 ――あなたが辛かったり、悲しかったりしたら、その気持ち、僕に全部ください。僕がそれ、全部受け止めますから。

 耳に残る声は、いつもどおりちょっと気弱そうだったから、うっかり内容まで聞き流してしまいそうになったことを思い出す。

「……どした、いきなり。そんならしくないこと言っちゃってさ。あ、お前実は本店でいじめられてるとか?」
「湾岸署じゃあるまいし……。ていうか先輩、全っ然信じてないでしょ?」
「うん」
 即答したら、がっくりという感じが似合いそうなほど真下は肩を落とした。タバコを口に咥えながらその頭をぽんぽん叩いてやると、妙な上目遣いをしてくる。子犬みたいだ。……かわいくないけど。
「僕は本気なんですよぉー」
「はいはい。わかったわかった」
「先輩!」
「お前にそういうの受け渡すほど、俺は弱い人間じゃないし」
 未だにうなだれながら、必死で真下はかぶりを振った。どうした、と聞くと、違うんです、と、今にも泣き出しそうな。泣かせるつもりはなかったのに。
「何が違うんだよ」
「僕は先輩が弱そうだから言ったわけじゃないんです」
「ならどうしてだよ」
 うまく言えないですけど、と真下は最初にそう付け加えた。なら言うなよとは口にしない。それは、青島にも彼の本気が伝わってきたからだ。
「だって先輩は、いつも誰かの傷を受け止めてるじゃないですか。雪乃さんだって、すみれさんだって、和久さんだって」
「そぉ?」
「僕にはそう見えます。……でも、じゃあ先輩の傷とか苦しみとか、誰が受け取ってくれるのかなって思って」
「……別にいいんじゃねーの?俺は平気だし?」
「今は、ですよ。いつかパンクしちゃうかもしれないじゃないですか」
「パンクって……俺はタイヤかよ」
 思わず、というかわざと苦笑すると、傷ついた顔をした。きっとそういう顔をするだろう、と青島は思っていたから、さして驚きもしなかったし、かわいそうだとも思わない。
「話、終わった?なら俺帰るから」
「先輩!僕はまだ……」
「そろそろ戻んないとすみれさんにたかられるんだよ」
 伝票頼むな、と後ろ手を振って店を後にする。昼休みは終わりだ。真下は暇かもしれないが、青島はそうじゃない。今日はまた夜勤もある。
 ――バカなやつ。よりによって、俺になんかそういうこと言っちゃってさ。
 同じことを雪乃やみんな、つまり自分以外の誰かに言ったなら、少しは見直されるだろうに。もしかしたらそれで恋に発展する可能性だって無きにしも非ず、だ。
「あら、青島くん。真下くんは?」
「本店帰ったよ。通報あった?」
「それが久しぶりに平和なのよねー。一個もなし」
 キムチラーメンを美味そうに食べながら、すみれが笑う。これが続けば珍しく定時に帰れるだろうが、互いにそんな甘いものじゃないと知っている。
「……どうしたの?青島くん、真下くんとなんかあった?」
「や、別に。何で?」
「さっきから変な顔してる。まずいものでも食べさせられた?」
「……すみれさんみたいにね、食べ物で世界が回ってるわけじゃないから」
「ふーん。でも『なんかあった』っていうのは否定しないんだ」
 これだから女性って怖い。内心で呟きながら、青島は笑って首を振った。



 真下からの連絡はそのあと一切なかった。一月に一回は顔を見せてたくせに、もう数か月、湾岸署にも来ていない。一応後輩だったし、心配だしとなぜか理由をつけて雪乃に尋ねてみたところ、彼女も知らないですと言う。
 ――どこ行ったんだよ、あのバカ。
 いらいらするのは、最後に会ったとき、ひどいことをしたからだと思う。とにかく一度でいい、署に顔を出してくれればそれで済むのに。
『お掛けになった番号は、現在、使われておりません』
 携帯の番号もいつの間にか変わっていた。まるで、青島を避けるみたいに。
「……なんでいないんだよ」
 ――なんで俺は、こんなにいらいらしてんだよ。


 結局、あまりにも我慢ができなくて本庁に電話をかけてしまった。でも返ってきた言葉は「真下警部は只今研修中です」。それ以上の詳細は何も教えてもらえず、どこでどんな研修をしているかさえわからなかった。
 それならそれで別にいい。とりあえず生きてることだけわかったんだから、と自分に言い聞かせる。けれども、仕事の合間にふっと時間ができたとき、あの言葉ばかり思い出してしまう。真下のことばかりを考えている自分がいる。青島はもう嫌気がさしていた。そんな自分に。
 ――どうしてだろう。あんな奴、いなくなったって平気だって思ってたのに。
 気になってしかたなくて、声が聞きたくて、顔が見たくて、……会いたい、だなんて。そんなの、まるで。
「……うそだろ」


 ――まるで恋してるみたいじゃないか。


「ね、青島くん」
 背後から声をかけられて、大袈裟なぐらいのリアクションをとったら、すみれは怪訝そうな顔をして青島を見た。そして、首を傾げる。
「……どうしたの?」
「へ、何が」
「顔、真っ赤よ」
 指摘されて、意識すると顔が熱くて心臓がうるさかった。ありえない。ありえなさすぎる。
「あ、この部屋暖房効きすぎてない?」
「別に」
「俺は暑いんだよね!うん」
 はぁ?とすみれが顔をしかめたのと、青島が聞き込みという大義名分のために、逃げるように刑事課から去ったのはほぼ同時だった。



 テレポート駅。真下が撃たれたところに青島は立っている。もう血痕はなくなっていて、なにもなかったかのように人が通りすぎていく。
 ――まるで、真下なんかいなかったみたいだ。
 嫌な思考を消すようにタバコに火をつける。苦い味が口のなかに広がっていった。
「……あのバカ、早く帰ってこいよ」
 ――辛かったり、悲しかったりしたら、すべて僕にください。
 彼はあの日、確かにそう言った。その記憶だけが、真下のかたちをはっきりと映し出す。そしてそれを思い出すたび、苦い気持ちになるのだ。
「受け止めるって、ここにいなきゃ意味ないだろ」
 お前がいないことが辛いよと言ったら、真下はどうするのだろう。破裂しそうなこの想いを、彼は受け取ってくれるのだろうか。
 ――なぁ真下、お前はどう思ってんだよ。
 なんだか泣きたくなって、俯いていた顔を空に向ける。灰色の煙が青に吸い込まれていくのを、青島は黙って見つめた。涙が出そうなのは、煙が目に染みたからだと言い訳しながら。


***
青島くんを大好きな真下のはずだったのに、気がつけば真下を大好きな青島くん、という、わけのわからない構図に……。
お蔵入りの予定だったのですが、拍手の都合によりこうして日の光を浴びることになりました(笑) ちなみに元ネタはスピッツの「さらばユニヴァース」です。あまりメジャーじゃないんですが、これがまた名曲です。