たしかなもの、あなたの手

 人間、血がなくなると寒くなるっていうのはほんとうらしい。刺された腰の部分だけは燃えてるみたいに熱いのに、身体の先っぽから奥までは凍えるみたいに冷たかった。寒いって表現しきれないくらいの冷え。雪山で遭難したら、こんな感じなんだろうか。
 痛みと、寒さと、熱さと。いろいろ混ざっちゃってもう、わけがわからなかったけど、目の前に真っ黒いコートがはためいた瞬間、俺はもう大丈夫なんだなあって思った。
 ――室井さん。
 まさか現場に来てくれるなんて思わなかったけど。あんたにこんなところ、見られたくなかった。ほら、やっぱり眉間にしわ寄せてるよ。こっちばっか見てるなっての。犯人、逮捕しなきゃ。せっかく待っててあげたんだからさ。
 俺が言うと(自分でも驚くほどしゃがれた声だった)、室井さんはますますこっちをでかい目で凝視して、立ちすくんでいた。その後ろで手錠をかける音だけが響いて、とりあえず安心した。安心したら、今度は傷が痛む。労災降りんの、これ。
「青島」
 部屋の外やら中やら、室井さんと一緒に来た本店の刑事とかすみれさんとか、とりあえずたくさんの人たちの声がぼんやりと聞こえる。でも雑音だらけの世界のなかで、室井さんの声だけは、俺の耳にちゃんと届いた。すまない、というちいさなちいさな、謝罪まで。そんなこと言わなくていいのに。誰かのせいにしちゃえばいいのにそれをできないひとだから、迷って、悩んで、不器用なわけだ。
 だけどそれでも、俺はずっと室井さんを信じるだろう。それで怪我するぐらい、しょうがない。現場の刑事はもっとすごいって、いつか言ったよね、室井さんに。だからそんな顔しないでといつもみたいに笑いたかった。
 でもどんどん、自分の身体が自分のものじゃなくなっていくみたいに、言うことを聞いてくれなくなっていく。やっとできたことは、室井さんの名前を呼ぶことだけだった。うまく言えたかどうかわかんないけど。
 ただ、室井さんは静かに頷いてくれた。
「青島、大丈夫だから。――俺が支えて連れていく」
 力が抜けて動けない俺の身体を、室井さんが肩に腕をかけて支えてくれた。自分じゃほとんど歩けなくて、ふわふわと宙に浮いてるみたいな千鳥足だけど、室井さんのおかげでどうにか前に進んでる。でも傷から血が止まることなく溢れてるし、正直、頭もぼんやりしてきた。
 ――俺、死ぬのかな。
 らしくないって、和久さんに笑われそうだけど。ほんと、痛いんだよ、すごく。前に刺されたときとはケタ違いで――ああそうだ。あれも室井さん関係で刺されたんだっけ。
 あとから課長に聞いた。室井さんは俺が刺されたと聞いて、絶句したらしい。課長には室井さんが言ったことが社交辞令のように感じられたみたいで、それで怒ったって言ってた。まさかほんとに上に提案するとは思わなかったみたいだ。
 でも室井さんは、他のひととは違う。それは一番……って言ったら傲慢かもしれないけど、俺は知ってるから。
 だって参事官の仕事って、ふつう、こんなことまでしないよね。一介の所割刑事抱えて歩くなんてさ。コートもシャツも汚して汗かいて、真っ直ぐ前だけを見て、俺を支えてくれている。
「青島」
 何度も何度も、室井さんは俺の名前を呼んだ。俺がまだ生きてるってことを確かめるように。エレベーターを待つ時間ももどかしいように、ボタンを連打して、ずり落ちそうになる俺を必死で支えてくれた。
「あおしま」
 だから返事をする代わりに、俺は室井さんが握ってくれてる右手をすこし動かした。気づかないかなと思ったけど、室井さんはちゃんとわかってくれたみたいで。重なった手を、ぎゅっと握り返してくれた。冷たい俺の手先に、全身に、その熱だけがダイレクトに伝わって、生きてるんだな、って思う。
 ――室井さん。
 繋いだこの手以上に確かなものを、今の俺は持ってない。この掌が、俺のいのちを繋ぎとめてくれてる。そう思ったら、まだ大丈夫な気がした。そんな俺の心を読んだみたいに、室井さんはもう一度大丈夫だ、と言ってくれた。さっきよりも強く、あたたかく。


***
良くも悪くも思いつくまま勢いのまま書いた久しぶりのおはなし。 寒いのはわたし……。
OD1を見返して、あのシーンで室井さんが青島くんの手を握っててこのはなしを思いつきました。あああ大好き。