預金残高、ゼロ

 室井さんは時々、壊れたように俺に「好きだ」と繰り返す。ふだんは何も言ってくれないくせに、まとめてしつこーく言うもんだから、俺はいつもドキドキしてしまう。中学生みたいだよ、ほんと。いー年した大人なのにね。
「貯めとければいいのになぁ……」
「何を?」
 隣で書類に目を通しながら、室井さんは意識だけを俺に向けていた。室井さんに上に行けって言ったのは俺だけどさぁ、別にやった後ぐらい仕事なんかいいじゃんね。……まさか書類じゃなくて俺を見て!なんて間違っても言えないけど。
「金を貯めたいならあの趣味をどうにかしろ」
「別に金じゃないですよ。室井さんから見れば薄給かもしれないっすけど、生きていくのに必要な程度は稼いでます」
「なら何だ」
「……いや、別に何でも」
 そうか、とだけ呟いて、室井さんは再び意識までも書類に戻してしまった。ていうか、あんな分厚い紙の束に負けてるよ、青島俊作。さっきまではさ、あんなに情熱的だったのにね。
 好きだと熱く掠れた声でささやかれて、抱きしめられて、揺さぶられて。室井さんとのセックスはいつも自分の限界を越えるような体験だ。そしてそのとき繰り返す告白はまぎれもないホンモノなんだって分かる。だって、まるで世界の終わりみたいな、あんなに深く「好きだ」と言われたこと、このウン十年の人生で一度もなかった。だからなのか、ちょっともったいないって思ってしまうのは。
「青島、寝たのか?」
「寝てまーす」
「……起きてるじゃないか」
 溜息をついている室井さん。きっと眉間にシワ寄ってんだろうなって、見なくてもわかる。
「室井さん」
「ん?」
「……なんでも、ないです」
 本当は言いたいことがあったけど、わざと知らんぷりして寝返りをうった。
 俺が貯めておきたいのは金なんかじゃない、もっとすごく貴重な室井さんの言葉だ。たとえば聞きたいときに、預金を下ろすみたいに聞ければいい。だってさ、してる時っていっぱいいっぱいで、じっくり噛み締めてる暇とかないんだよ。全然味わえないんだ。ただ右から左へ通り抜けちゃう。そんなのもったいないじゃん。室井さんがくれるもの、俺は何一つ、失くしたくないんだから。
「青島」
「だからなんでもないですって」
「いや、俺が言いたいことがあるんだ」
「何ですか?」
 促してみたけど、室井さんはしばらく口ごもっていた。何か言いにくいことでもあるのかな。そんなことを思っていたら、室井さんはいきなり、手に持っていた書類を床に放り投げた。いいの?そんなことしてさ。物を大事にしろっていつも口うるさいくせに。あ、書類の端、折れちゃってるよ。キャリアってかっちりしてなきゃいけないんじゃなかったっけ。
「青島、……好きだ」
 ささやかれた言葉は、最中と同じように真剣で、俺の胸の中にゆっくりとおりてくる。今の今まで欲しいと思っていたものを与えられて、俺は逆に驚いて、っていうのもあるし、なんだか、すごく、うれしくて、とにかくいつもは達者な口が動かない。
 けど、それが室井さんを不安にしたらしい。
「その、できれば何か言ってくれないか?」
 そうじゃないと困るんだが、って、もうすでに室井さんの声色は困り果てていた。
「……室井さんって、実は超能力者だったとかいうオチですか?」
 とりあえず「何か」言ってみた。というか、これしか口にできなかったっていうのが本音だ。
 室井さんはふっと苦笑しながら、俺の髪を撫でた。犬にするみたいな撫でかただったから、俺も犬みたいに擦り寄ってみる。そしたらすぐに身体に腕が回された。
「俺は超能力者じゃない」
「知ってますよそんなこと。室井さんにそんな能力あったら、もっと人生泳ぐのうまいはずですし」
「嫌味か」
「いえ。超能力なくてよかったなーって。あったら警察になんていないでしょ」
「かもな。ただ、超能力はなくてもできることがある」
「え、なんすか?」
 腕の力が少し強くなった。そのせいで俺は自分のそれをまだ室井さんの背中の定位置に回せていない。
「お前が何を考えてるかぐらい、すぐに分かる。超能力なんかなくったってだ」
「……それって」
「好きだ。――そう、言ってほしいんだろ」
 それはすでに疑問じゃなくて確信だった。お見通し、ってやつ?俺が見なくても室井さんの表情が分かるように、室井さんも、俺の些細な望みをくみとってしまったらしい。あーあ、完敗だ。普段はものすごく口下手なくせに、ここぞって時に外さないんだから、敵いっこない。
「室井さんといると、時々怖いです」
「怖い?」
「なんかね、室井さんをもっとすげぇ好きになりそうな俺自身が怖い」
「……俺はそのほうが嬉しいぞ」
 これ以上強く抱きしめられる前に、俺はなんとか腕だけの脱出を図った。そして室井さんの肩甲骨あたりのいつもの場所に落ち着かせる。俺のほうが背もデカいのに、いつも抱きしめられてる感じがするんだ。
「室井さんの言葉を貯めとければいいなーって思ったんです。さっき」
「ああ、それでか……。でも何でだ?」
「会えないときとか、なかなか言ってくれないときとか、こう引き落としできればいいなぁって。室井バンクですよ」
「……名前のセンスが悪い」
「室井さんに言われたかないです」
「失礼だな」
 額と額を合わせて、俺たちは思わず笑ってしまった。示し合わせたみたいに、同時に。
「そんなの貯めなくていい。……これから先も、飽きるほど言ってやるから」
「ほんとですか?口下手のくせに」
「それは関係ないだろ」
 くすくすと笑いながら、俺は室井さんの首に腕を回して目を閉じた。だけどすぐに唇は降ってこない。いつもだったら、待ちきれないっていう風に触れてくるのに。
「室井さん?」
 おかしいと思ったけど、そのままじっとしていたら、耳元に気配を感じた。
「……青島」

 ――あいしてる。



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気持ち悪いぐらいいちゃいちゃしてて気持ち悪いです(笑)
タイトル見て勘違いしたらすいません。室井バンクの預金はゼロだってことです。