猫になりたい


あるところに、一匹の猫がいました。
美しい金の毛とオレンジに光る瞳を持った、珍しい猫です
猫は、名前はありません。ただの猫でした。
人間に、生まれて間もなく捨てられて、それからは誰にも心を開かなくなったのです。
だから、猫の美しさに心を奪われて、飼い主になった人間に名前をつけられても、
猫はすぐに忘れてしまいました。飼い主になつくこともなかったし、食事がおいしいと感じることも
ありません。そして、ふらふらと別の場所に行って、また新しい飼い主を探すのです。

猫は、何回も死にました。
けれども、目が覚めると、金色の毛並みの身体は、また元に戻っていて、そして知らない場所にいるのです。
それは、日本という国だったり、どこか知らない国だったりしました。
そこでまた、新しい飼い主を探すのです。
あるときは、刀を持った侍と呼ばれる人間だったり、自分よりも薄い、金の髪をもつ金持ちだったり、
戦争というものにおびえている子供だったり、少年だったり、年寄りだったりしました。
そして、飼い主の名前を知らないまま、自分の名前を知らないまま、時には飼い主の顔だって忘れて、
猫は死に、また元に戻るのです。

なぜ自分が死にきれないのかは、猫には分かりません。
しかし、ただ分かることは、何度死んでも、同じことの繰り返しだということだけでした。
幸せを感じたことがなく、楽しいと思ったこともなく、どこかでみた物語のように恋をしたこともなく、
ただ、何もせずに死んでいくのです。猫は、それが幸せだと思っていました。



ある日、また猫は死にました。
目が覚めると、また自分は生き返っていて、それにも慣れきったように、ここはどこか理解しようとしました。
そこは河原で、子供達の遊ぶ声が聞こえてきます。猫は、日本語しか分からないので、時折聞こえてくる子供達の
言葉が自分にも分かるから、ここは日本だと分かりました。
猫がとことこ歩いていると、目の前に人間の子供が座り込んでいました。
今までいろいろな国の人を見てきた猫が驚くほど、その子供はひどく綺麗な栗色の髪の毛で、色素が薄い大きな目をしています。
隣に置いた、黒いランドセルに書かれた名前は、もう色あせてしまっていて読めません。
かろうじて、たつや、という部分だけが分かりました。
たつやという少年は、溜息を一つついて、そして紺色の筆箱から黒いペンを取り出すと、自分のノートの名前を
ぐりぐりと塗りつぶしていきます。けれども、たつやだけは残して。
猫は意外と賢かったので、苗字を消しているんだということが分かりました。
胸につけている名札をそっと見てみると、桐原竜也、と書かれています。どうやら、桐原だけを消しているようです。
竜也は、自分には気付かないようでした。猫は今まで自分から気付いてほしいと思ったことはなかったのですが、
今だけは気付いてほしいと、なれない鳴き声を出してみました。
「・・・お前も一人?」
「にゃー」
「そっか。分かんないよな。そんなこと」
竜也はやっと自分に気付いてくれたようで、両脇を掴んで優しく抱き上げて、膝の上に乗せました。
そこはとても温かく、心地いいものでした。
猫はゆっくりと竜也の話を聞きました。サッカーが大好きで、けれどもそのサッカーが原因で、両親が離婚をしたことも。
話の間に相槌を打つと、竜也は笑って利口だな、と頭を撫でてくれました。
「ウチ、行こうか。一緒に」
「にゃー」
その日から、猫に新しい飼い主が出来ました。
その日から、猫は初めて人間を受け入れました。


竜也は、次第に大きくなりました。
猫と竜也はいつも一緒です。竜也が気に入っている金色の毛を整えたり、一緒に遊んだりしました。
猫は、竜也のことを一番知っているのは自分だと思いました。竜也が悔しいのも、苦しいのも、自分が一番知っているのです。
そして、竜也をとても美しいと思いました。それは、恋でした。
猫は、竜也に恋をしたのです。

あくる日、竜也は友達を連れてきました。
彼が友達を連れてきたことなんて一度もなかったので、猫はたいそう驚きました。
そして、その友達を見たときに、猫はまた驚きました。
「おーたつぼん猫なんか飼っとったん?俺とおんなし色やー」
「お前よりもソイツの方が綺麗だろ」
その友達は、日本人なのに、髪の毛は金色で、耳には石が光っています。そして、変な日本語で話すのです。
猫は、すぐさま関西弁だということに気付きましたが、とても変な感じがします。
なにしろ竜也は、凄く笑ったり、怒ったり、いろいろな顔に変化するのです。
こんな彼は今まで見たことがありませんでした。猫はその男が憎たらしく感じました。
シゲ、と親しげに呼ばれていて、自分も竜也から名前で呼ばれてみたいと、心から願いました。
「なあたつぼん、コイツ、名前は?」
「あ。決めてなかった。じゃあシゲでいいか。似てるし」
「思いっきり適当やん。まあええわ。よろしくなーシゲー」
名づけられた名前は、目の前にいる彼と同じで、猫は少し腹が立ちました。
けれども、優しく竜也にシゲ、と呼ばれたので、段々上手くなった鳴き声をしてみます。
頭を撫でた竜也の掌は、とても温かく、心地がいいものでした。



猫は、竜也の何もかもをしています。
シゲは、あの後竜也を、サッカーを裏切ったといいます。竜也が苦しんでいるのを何度も見て、猫は
自分でシゲのうちにいこうかと思いました。けれどもそんなことをしてもどうにもならないことだと気付き、
悲しくなりました。自分は竜也に何にも出来ないのです。
そしてまた、一年たち、シゲがまた竜也のもとを訪れるようになりました。

その頃猫は、人間になりたくて、たくさんの本を読みました。
けれどもどこにも答えは載っていません。そのたびにがっかりとするのです。
猫は竜也のことが好きで好きでしょうがなかったのです。
そして、猫はシゲが竜也を好きで好きでしょうがないことも気付きました。本人は気付いてないようですが。
同じなのです。竜也を見る、シゲの目が。


そして、ある日、猫が散歩から帰ってくると、玄関には綺麗に並んだ2足の靴がありました。
片方は見慣れた竜也の靴、もう一方はかかとが履き潰された、見慣れないスニーカーでした。
けれども猫はすぐにシゲだということに気付き、階段を駆け上りました。
しかしゆっくりと扉を開けた瞬間、思いもよらぬ光景を目にしてしまったのです。

いつか、誰かと一緒に、映画で見た、美しい光景でした。
愛しそうに、長い睫がついた瞳を閉じて、うっすらと頬を赤く染めて。
そして、同じように瞳を閉じて、長い金髪を垂らして、唇を重ねていって。
「好きや」
ああ。自分も人間の言葉が話せたなら。
「めっちゃ好き」
「・・・何度も言うなよ・・・」
自分が人間だったなら。

良かったのに・・・

猫は、音を立てずドアを閉めると、外へと出て行きました。
そして、初めて竜也と出会った河原で、にゃあ、と一度だけ呟いて、目を閉じました。


猫が、生き返ることはありませんでした。


 
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別に猫になりたいわけじゃないんだけど、なんとなく