目を覚ますと、朝の冷たい空気が部屋に入ってきた。
「・・・よお」
「何で朝っぱらから居るんだよ・・・」
部屋には何故か藤代はいなかった。そのかわりに大学にいったはずの三上が黒いジャケットと
似合いすぎているジーンズを身に纏い、座っていた。
久しぶりだ。
二人とも、都合がつかず、最後に会ったのは夏休みの終わり。
かれこれ、もう3ヶ月たっている。どうりで、懐かしい感じがするわけだ。
「・・・大学は?」
「さあ」
「さあ・・・って」
サッカー進学をするのを諦めた三上は、持ち前の頭を生かし、有名大学の医学部に合格した。
来年にはドイツへの留学の話も持ち上がっている、と藤代が噂で聞いたらしい。
そんな、自分の顔も忘れそうなぐらい忙しい奴が、何でここに居るんだろう。
三上は相変わらず変わらない。口元に笑みを浮かべて、じっとこっちを見ている。
日本人のくせに長い足だとか、漆黒の髪だとか、外見も変わらなければ、実は筋肉も衰えていなくて。
夏休みには疲れきった自分を抱きかかえて、ベットまで何往復もしていた。
だんだんと頬が熱くなってくるのを感じる。水野はぶんぶんと頭を振った。
「何だよ。やらしーことでも考えてた?」
「考えてねえよ!!」
「顔、赤くなってる」
右頬に触れた手は、酷く熱くて。身体にも、移りそうだった。
どくんどくんと心臓の音が大きくなる。それは耳障りなほどに。
どうしよう。
今、自分が何を望んでいるのかが判る。
「・・・ミズノ」
掠れた声で、吐息だけで囁かれた。自分が持ち合わせていない、声。
視線が正面衝突した。目を反らしたくても、反らすことが出来ない。
「誕生日オメデトウ」
「・・・・・・三上?」
目が覚めると、冷たい風が頬を撫でた。
三上は、いない。下ではまだ、藤代が寝ている。
重い腰を上げ、携帯のディスプレイを眺めると、まだ5時だった。
11月30日。
ああそうだ、今日は俺の誕生日だったんだっけ、と重い溜息をつく。
さっきのは、夢だった。ただ、夢と現実があまりにも近いものだった、というよりもきっと、
夢の世界は自分が望んでいたものだった。三上に、逢いたい。
すっかり目が覚めてしまったので渋々布団から出ると、身体から一気に体温が引いた。寒い、朝。
それなのに、三上の手が触れた右の頬だけは未だ熱が冷めない。あれは、夢なのに。
夢だと思うほど、現実に近くなる。
水野は急いで着替えると、筆箱からボールペンを取り出した。
そして走り書きのメモを残し、誰にも気付かれないように大浴場の窓から外へ抜け出した。
今日は風が強いらしい。
商店街を歩いていくと、北風が水野の髪を煽った。
コートやマフラーを持ってこなかったことを後悔しながらも、駅を目指す。
「・・・寒い」
死にそうだ。
商店街は酷く静かで、どの店もまだ開いていなかった。
それはそうだ。水野はポケットから携帯電話を取り出した。5時17分。
始発の電車はもうとっくに行ってしまったのだろう。満員電車は何とか避けられそうだ。
そうこうしているうちに駅に着いた。そこには学生なんて見当たらず、サラリーマンが何人かいるだけだ。
券売機に小銭を入れる。後で精算すればいい。一番安い切符を買って、改札を通った。
運がいいのか、あと3分で電車が来る。多分、9時には間に合うだろう。
ホームに滑り込んできた電車はいつもの満員電車ではなく、とはいってもがら空きでもない。
暖かい空気の中に、引き込まれるように入った。
駅に着いたのは8時だった。
段々増えてくるサラリーマンやOLを横目に、一番ピークの時間に降りた。
大学生が続々と歩いている。その中に自分は居た。
ときどき女子大生の隣を通り過ぎると「あの子水野君じゃない?」「えー?うそお」なんて
会話が耳についた。別になんとも思わない。ただ、少し照れくさい。色々な所で自分が知られている、
というのは意外と恥ずかしい。かといってグラウンドで声援を受ける時は別に平気なのだけれども。
精算をし、改札を抜けた。また風に吹かれたが、今朝よりは幾分ましになっている。
夏休みに何度も通った道を歩く。
ビルが立ち並ぶ、都会。けれども一本奥に進むと昔ながらの下町がある。
多分自分はこっちのほうが好きだ。時間に押されて、周りを見る暇がなくなった人々が歩く都会の道よりも。
少しずつ賑わいをもちはじめた町並み。
黒いランドセルを背負った小学生がサッカーボールを転がしながら走っている。
「なあなあ、今の水野じゃん!?マリノスの」
「ばーか!!水野がこんなところにいるわけないだろ?」
「絶対水野!!引き返してみてみようぜ」
「やだよ。俺、先生のゲンコ喰らうのは」
騒がしく駆けていく小学生。
声をかける、顔なじみのおばさん。
そして・・・
「・・・水野?」
「三上・・・」
現実。
少し、背の高くなり、けれども夢の中と同じ格好をしている。
「オマエ・・・学校は?」
ああさっきと立場が逆だ。
「さぼった」
逢いに、来てしまった。
けれども呆れた顔をしているわりには、三上は手ぶらな格好だ。
バツの悪そうな顔をして前髪を掻きあげた。照れた時にする癖だ。
「・・・先越しやがって・・・」
「は?」
「だーかーら、俺がお前のところに行こうと思ってたんだよ・・・」
「・・・え?」
「ったく・・・何なんだよ。しまいには夢にまで出てくるしな」
夢、と言った。
三上は、いや、三上も自分の夢を見ていた。
「誕生日、オメデトウ」
夢と同じように、右頬に手を当てて、あの声で囁かれた。
どくん、と心臓がはねる。流されそうになるのをこらえて、水野は三上の手を払う。
「ば・・・何してんだよ!ここ外だぞ?」
「だってオマエ、俺にこーゆーことされるために来たんだろ?」
正夢、といっていいのだろうか。
こういうのは。
「・・・バカ」
「オマエもだろ」
ぎしぎしと音を立てて階段を上り、三上の部屋に入った。
こざっぱりとした、寮の部屋よりも少し大きいそこに足を踏み入れた。
「・・・おじゃまします」
「おじゃまされます」
机の上には参考書やらレポート用紙やらが散乱していた。
けれども服などはきちんと整理されていて、三上らしいと思った。
「なあ」
「あ?」
「三上はさ、どんな夢を見たんだよ?」
台所に立った、三上が一瞬動きを止めた。紅茶を入れる音が聞こえる。
三上は何も言わずにマグカップを水野に差し出した。
ミルクティー、しかも甘みは自分の好みだった。それに驚き、顔をあげると三上と目が合った。
「・・・オマエさ、今日誕生日だろ?」
うん、と短く返事をすると、三上は一度自分用のコーヒーを飲んだ。
「・・・だから・・・あー・・・くっそ・・・」
「だから、何だよ」
いつの間にかミルクティーはなくなっていて、気を紛らわすものが何もなくなってしまった。
三上はさっきから自分と目を合わせようとしない。ポケットで携帯が震える。
「ごめん」
藤代からだった。悪い、と思いつつもそのまま電源を切った。バックライトが切れ、
画面が暗くなる。ポケットにしまおうとする手首を押さえられ、顔をあげると目の前に三上の顔があった。
肩が一度震えたことに三上は気付いたのだろうか。
「・・・オメデトウ」
「・・・うん」
ぶっきらぼうな、声だったが、背中に痺れにも似た感覚が襲ってきた。
どうしよう、か、だなんて。逃げ道はないのはわかっているのに。
「正夢・・・」
呟いた声が、届いたかどうかは判らない。けれども、俺も夢を見た。